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プロテルの足跡 Altium/アルティウム製品
プロテルの始まりと市場への浸透
プロテルはどのように生まれ、Protel PCB-CADはどのように浸透したか
プロテルの足跡 Altium/アルティウム製品
Picking up essence
プロテルの足跡
EDA Digest 98 からの抜粋/加筆
Altium Designer トライアルショップ
  プロテル社は1985 年ニック・マーティンにより、オーストラリアのタスマニアで設立されました。ニック・マーティンはタスマニア大学の依頼を受け、UNIX ベースのシステムの代用品として使用するための、安価なDOS 製品の開発を始めました。プロテルのこの製品は翌年の1986 年にはオーストラリア国内で使用され始め、しだいにアメリカやヨーロッパにも輸出されるようになりました。当時は主に米アクセルテクノロジ社(後にプロテルが買収)にOEM 供給され、Tango のブランドで販売されていました。
 
プロテル社は1991 年にWindows 上で動作する最初のProtel Advanced PCB の出荷を開始した後、プロテルDOS 製品の開発を中止しました。その後プロテルWindows ベースのEDAツールだけを開発するようになり、1992年末にはProtel Advanced Schematic の出荷が始まりました。プロテルはその後矢つぎばやにWindows CAD ツールのラインナップの充実と統合化を実現し、短期間にWindows 統合CAD ツールの業界標準の地位を獲得するにいたります。
  現在の
プロテル社は本社をタスマニアから(米国を経て)シドニーに移し上場を果たした後、アルティウムに社名変更されています。そして、引き続きハイエンドツールをしのぐ能力を備えた統合EDA ツールを、 安価に供給することを目標にして開発が続けられています。現在その範囲は FPGA 開発や組み込ソフトウェアの分野にまで広がっています。
[ DOSPCBツールで創業、Windowsで飛躍 ]
[ 成功を決定付けたキーコンセプトと製品 ]
[ バージョン3EDA/Client、そしてProtel 98 ]
  いち早くWindows にフォーカスすることにより「高性能を、安く、使いやすく提供する」という、このあたり前の目標に取り組んだ先見性がプロテルの成功を決定つけたといえます。1991年のプロテル最初のWindows製品のリリース当時、MS-Windowsはバージョン3.02.1のランタイムバージョンが混在して使われていた時代で、ハードウェアもi386ベースの非力なものでした。普通の人なら、とてもこれをCADのプラットホーム使おうとは思わなかったと思います。実際、プロテル初期のWindows-PCBは当時主流のDOS製品と比べると、動作が遅く使いづらいものであったのも事実です。それでも、Windowsへのフォーカスを決めたという決断からは、CEOのニック・マーティン氏の非凡さがうかがえます。
  このように
プロテル Windows 第一世代の、Advanced Schematic / PCB のバージョン1.xは時代を先取りしすぎた面もありました。このためマーケットに対して、挨拶代わりになりこそすれ収益には結びつかず、プロテルの経営を圧迫しました。
  1993年のプロテル Windows版のバージョン2.xのリリース後、この状況は一変します。Windows は、3.0 になり、CPU i486 が普通になります。そしてこのプロテルのバージョン2.x は改良とともに、ハードウェアプロテクトが取り払われることにより、極めて魅力的な製品に様変わりし、飛躍的に売り上げを伸ばします。そしてその後、1995 年に発売され、プロテルの統合化のさきがけとなったAdvanced Schematic / PCBのバージョン3 は全世界で爆発的に売れはじめます。この頃は、DOS 版のトップブランドであるOrCADWindows 製品が無く、プロテルが売れて当たり前というのが当時の状況だったと思います。
Altium Designer アルティウム製品 

アンビルコンサルティング株式会社        
20049月30日
  バージョン3 により現在の、プロテル統合ツールの基盤が出来上がったということができます。プロテルのこのバージョンは製品自体も良く売れましたがそれ以上に、EDA/Client という統合プラットホームの開発と、SchemticSimulatorPLDPCBRoute という一連のプロテル製品が出揃った事の、技術および営業面での意義は多大なものがあります。しかし、製品の実用面から見ると、まだ相対的にハードウェアが非力であり、機能よりもレスポンスを求めて、プロテルの古いバージョンを使い続けるユーザも多数存在しました。
  その後の
1998 年には、プロテルのバージョン4 の製品として、Protel 98 がリリースされました。これは、 バージョン3 のプログラムを16 ビットから 32 ビットに拡張しただけもので、機能の追加はほとんど行われませんでした。この結果、動作は安定かつ高速になり、実用性を重視するユーザの大きな支持を得ることができました。またこのバージョンからプロテルの統合ツールへの志向が強まり、プロテル社では個別ツールのプロモーションが行われなくなります。
  この
Protel 98 は、EDA/Client環境の完成版としての評価が高く、いまでも現場で使われているのを見かけます。その後、Protel 99Protel 99 SEProtel DXPProtel 2004 と続きますが、この解説はこれらのプロテル製品が現役を退いた後に持ち越したいと思います。
[ 日本国内での販売 ]
  現在は本家 Altium の日本法人である、アルティウムジャパンが日本での販売窓口になっています。この前身のプロテルジャパン、そしてその前のテクスパートプロテルの販売元としてご存知の方は多いと思います。しかし、その前があります。せっかくですので名前だけご紹介します。
  最初のプロテルの販売元は、イー・ティ・シーを中心とした3社連合、次に日商岩井システック、そしてO.I.M、アルマティックと続き、
テクスパートにたどり着きます。この間のプロテルの露出度は多くなく、プロテルがエンジニアの目にとまる機会は少なかったように思います。プロテルテクスパートへの到着は1992年。WesconでのAdvanced Schematic 1.0プロテルブースでの展示がきっかけでした。実質的には、プロテルの日本への上陸はこの時だったといえます。当時、時代はすでにWindows への流れを明確にしつつありました。プロテルの方針もこの流れに沿うものであり、ゆるぎのないものに見えました。
  このときから
テクスパートプロテルの将来性に期待し、持てる限りの体力を振り絞ってプロテルの宣伝を行います。その結果、1年あまり後に販売が開始されたAdvanced Schematic / PCB 2.0からは、順調に売り上げが伸び始め、バージョン3の末期には新規販売だけで毎月 100-150本出荷されていました。外部のCAD 関係者には、プロテルが飛ぶように売れていると映ったことでしょう。しかしもう二度と、こんなにたくさんに売れる時代はやってこないように思います。
  その後の
19984月、Protel 98 のリリース直後に、テクスパートからプロテルジャパンプロテルの販売業務が移管されます。テクスパートプロテルをベストのポジションで新会社に引継ぐ事に成功し、無事その役目を終えます。この約3年後プロテルアルティウムに社名を変更し現在に至ります。
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